時たま、旅人

時たま、旅人

自称世界遺産ハンターが行く!旅好き会社員の備忘録

バチカンとNASAが認めた奇跡

 

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メキシコシティでは街を歩いていると、地元の人に「写真を撮って」と話しかけられます。写真を撮るのが上手そうに見えるのか旅先で撮影を頼まれることが本当に多いので今回もシャッターを頼まれたと思いましたが、そうではなく一緒に写真に入ってくれという意味でした。これはガイド本にまだ書いていない新しい詐欺か?と警戒しましたが、どうしたって犯罪者には見えない人の良さそうな親子連れや中・高校生くらいの若者にモジモジしながら頼まれると断ることもできず・・・何組も写真を撮る羽目になりました。もしかしてこっちのアジア系有名人に似てるのか?とも思いましたが、そんなわけでもなさそうです。あとで現地在住の日本人に聞くとメキシコの人にとってまだまだ日本人は珍しいようでよく写真撮影を頼まれるようでした。つまり、自虐を混えると自分たちとは見た目の違う顔の造りが平たい珍獣との記念写真が欲しいってことなんですね。

 

どんなに街に溶け込んでいるつもりでもわたしは明らかに目立って浮いている!ってことを嫌という程思い知らされたわけです。そんなわけで不安になったわたしは、一人での街歩きを諦めて現地ツアーに参加することにしました。

 

迎えのマイクロバスが早朝に向かったのは中央に巨大な国旗がはためくソカロ広場です。ワールドカップやオリンピックではパブリックビューイングが設置され、冬にはスケートリンクにもなるとという200m四方の広場はモスクワの赤の広場、北京の天安門広場に次ぐ世界第3位の規模で、メキシコの政治的・宗教的な中心地です。f:id:greenbirdchuro:20190529162100j:plain独立記念日のメイン会場だったようで派手な装飾がまだ残っていました。まるでクリスマスみたいですが国旗と同じメキシコカラーですね。f:id:greenbirdchuro:20190529162102j:plain

 

スペイン人はアステカ文明最大の都市テノチティトランの神殿を破壊し、その真上に自分たちの都市を築きました。ソカロ広場のすぐ傍にはアステカ時代の貴重なテノチティトランの中央神殿テンプロ・マヨールが公開されています。実際に発掘された遺跡の中には現在は国立人類学博物館の目玉となっているアステカカレンダーもありました。f:id:greenbirdchuro:20190529163309j:plainつまり、文字通りメキシコシティの地下にはアステカの都市が埋まっていて、ソカロ広場の下にはアステカの神殿が埋まっているという皮肉な状況なのです。

 

ソカロ広場に沿うように建つ長い建物は国立宮殿です。かつてアステカ王モクテマス2世の宮殿があったこの場所はスペインにとっては植民地活動の拠点でもありました。現在は、宮殿の奥の建物が大統領執務室や大蔵省として活用されています。f:id:greenbirdchuro:20190529162256j:plain

 

破壊されたテンプロ・マヨール神殿の上にもとの神殿の石材の一部を使って築かれたのがメトロポリタン大聖堂です。1525年当初は木造に草葺き屋根でしたが、新大陸の中心を象徴するには貧相すぎて1563年に新たな大聖堂の建設が始まりました。完成までスペインから著名建築家が何人も招聘され、様々な様式が混在する大聖堂の完成には250年もかかっています。聖堂の地下にアステカの遺跡が埋まっているのは明白ですが、今さら発掘することもできませんよね。f:id:greenbirdchuro:20190529162710j:plain

長い時間をかけて建造された大聖堂ですが、テスココ湖を埋め立てて築いたアステカのさらに上に建てられているため地盤沈下がひどく、立っていても歩いていても気が付くほど床が傾いていました。f:id:greenbirdchuro:20190529163115j:plain

奥にある主祭壇のエリアはカトリック信者でなければ入れませんが、入口に近いところにある贖罪の祭壇は見学することができました。f:id:greenbirdchuro:20190529163126j:plain

贖罪の祭壇には毒のキリストと呼ばれる黒いキリスト像があります。毒に侵された信者の毒を吸い取って肌が黒くなったといういわくがあるそうです。f:id:greenbirdchuro:20190529163129j:plain

大聖堂と同じぐパイプオルガンもラテンアメリカ最大級です。 1968年の火災のため黒く変色した部分がありましたが、焼けて落ちてしまわず良かったですね。f:id:greenbirdchuro:20190529163132j:plain

 

メトロポリタン大聖堂に隣接するサグラリオ教会の存在感も中々で、初めはこちらが大聖堂だと思ったくらいでした。入り口に施された繊細な彫刻に目を奪われます。f:id:greenbirdchuro:20190529162404j:plain

 

修道院だった建物が1921年に文部省になりました。中にはリベラの壁画がたくさんあるそうです。f:id:greenbirdchuro:20190529165906j:plain

 

次にバスが向かったのはメキシコシティ近郊にある聖地テぺヤックの丘でした。そこにあるグアダルーペ寺院には聖地たる所以の褐色の肌の聖母が祀られています。f:id:greenbirdchuro:20190529163703j:plain

地盤沈下で傾いてしまった1709年建造の旧聖堂は、その役目を新聖堂に譲り、現在では観光用として使われているようです。f:id:greenbirdchuro:20190530211840j:plain

1976年に建てられ、旧聖堂から役目を引き継いだ新聖堂はとても近代的な建物でした。f:id:greenbirdchuro:20190529163711j:plain

メキシコ屈指の聖地には多くの熱心な信者が巡礼に訪れていて、彼らが描いた絵が新聖堂へ続く鮮やかな絨毯のようです。f:id:greenbirdchuro:20190529163715j:plain

そして、バチカンが認定した奇跡との対面の時がやってきました。中央祭壇に掲げられた褐色の聖母を見るために参拝客が行列を作っています。f:id:greenbirdchuro:20190530212020j:plain

気の遠くなるような人だかり・・・しかし、そこには驚く仕掛けがありました。聖母の真下の通路がベルトコンベアーになっていてわたし達参拝客はその上に乗せられ聖母を見上げながら運ばれていく・・・。わたしのような不信心な者は聖母を崇むより、カメラのシャッターを切ることに必死になってしまいます。f:id:greenbirdchuro:20190529163719j:plain褐色の聖母が奇跡と呼ばれるのは、この少し淡いタッチで描かれたようにも見える聖母像が人の手によるものではないからです。

アステカ帝国の滅亡から10年が経った1531年12月にこの壮大な奇跡が始まりました。キリスト教に改宗したばかりだった先住民フアン・ディエゴは朝のミサに向かうためテペヤックの丘を歩いていました。すると彼と同じ褐色の肌をしている女性が自分は聖母マリアだと名乗り、この地に礼拝堂を建てるよう司教に伝えて欲しいと言うのです。ディエゴが伝えても当然ながら司教は信じません。そんな彼の前に再び現れた聖母マリアは季節外れの薔薇の花を彼に手渡しました。ディエゴが司教に薔薇の花を見せようと花を包んでいたマントを広げるとそこに聖母マリアの姿が浮かび上がったということです。掲げてあるのはそのディエゴのマントなんです。そして、聖母マリアの依頼通りに1556年にテペヤックの丘に礼拝堂が建てられました。以降も重病人が回復するなどの奇跡が重なり多くの先住民がカトリックに改宗していったんだそうです。

 

科学的解析を行ったNASAは、マリア像の絵の色の材料と考えられるものはこの地球上には存在しないという見解を出しています。バチカンだけでなくNASAまで奇跡を認めてしまいましたか・・・そうなるとどれだけわたしが不信心でもこの奇跡を認めざるを得ないですね。

 

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グアダルーペの聖母 (1976年)

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図説 アステカ文明

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